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距離感と愛着・不快感との関連についての思考実験

一般に何か問題が起こるとその内容にばかり着目してしまいがちだと思うのですが、理系頭の私としては、直感的に「そういう問題ではないだろう」と思うことが多いです。

どういうことかといえば、例えば、以下のような人がいるとします。
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左の人は右の人よりも、近い距離が心地よいと感じ、一方、右の人は左の人よりも遠い距離の方が心地よいと感じるものとします。

すると、何が起きるかというと、左の人は右の人に近づこうとします。
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すると、右の人にとっては近すぎるので、左の人から離れようとします。
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仮にお互いが心地いいと感じられる距離がずっと変わらないとすると、左の人は延々と近づこうとし、一方、右の人は延々と離れようとすることになります。


そして、ここである仮定をおきます。

(仮定1)人は、長く付き合っていると愛着を感じ、心地よく感じる距離が近くなる。

この前提を置くと、上記の2人はしばらくすると、お互いが心地よくなる距離がだいたい同じになり、2人の距離が安定します。
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現実はもっと複雑怪奇なものだとは思いますが、とりあえず、思考実験ということで。

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by asazuki508e | 2016-02-19 19:31 | Comments(0)

久しぶりに YouTube でテレビ番組の録画もの?をいくつかチェックしたが、改めて怖くなった

「サイテーモーニング」の馬鹿出演者どもよ!「汝自身を知れ!」 - YouTube



こういうものを見続けていたら、普通の感性を持っている人間だったら、まちがいなく洗脳されてしまいますね。

改めて、映像の怖さを再確認しました。




一つ一つの認識を咀嚼し、記憶として定着させるのはとても時間のかかる作業です。しかし、こういうたいへんな知的作業を一瞬にして実現してしまうのが映像媒体です。



私自身はもともとテレビを見ないタイプの人間でしたが、数年前からマインドマップで情報整理するようになってから、映像媒体がいかに危ないものであるかを改めて実感しています。



ブログの方も数年やってますが、いくつかのブログを運営したり、いろんな人のブログやサイトを閲覧してきて、どうやったらアクセスが増えるかというコツのようなものもだんだんとわかってきました。しかし、同時に「アクセスを増やす」ということを目的化した途端に閲覧者にとって害毒にしかならない情報源へと変貌するということも直感するようになりました。

ネット上でプロパガンダ云々の話をよく目にしますが、私の見立てでは、彼らにその意図はありません。テレビであれば「視聴率を増やしたい」ということを目的化した結果、プロパガンダ的な情報が抽出・濃縮されてしまった、ということだろうと推測しています。



で、結果的にはプロパガンダ的なものになっていても、彼ら自身にはその意思・意図はないので、どこまでいっても改めようとしないのだろうと思います。



世の中に「結果責任」という言葉がありますが、おそらく、こんなような意味合いで使っているのだろうと思いますが、彼らはその結果責任を一向に取ろうとしません。



民主党政権時代の歴代の首相の言葉で印象的だったのは、「悪気はなかった」とか「誤解だ」とかいったニュアンスの言葉です。おそらく、彼らは上記のような社会現象を把握できていないのだろうと推測します。こういった無知は、一般人では特に問題ないと思いますが、大きな権力を握っている人がそういったことに無頓着だと、結果的に社会に多大な損害をもたらします。



社会的にある一定の権力を持ってしまった人は、こういった社会現象に敏感になってほしいものだと思います。

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by asazuki508e | 2016-02-05 08:22 | Comments(0)

プロパガンダ的現象の多くに「意思」は存在しないという話

以下の記事によると


国会で不毛な「悪魔の証明」議論が展開されていたそうです。

怖いですね。岡田さんの理屈で行けば、すべての痴漢容疑者は有罪になってしまいます。




で、どうしてこういう簡単な理屈がわからない人がいるのか、いろいろと仮定をおいて思考実験してみたのですが、今のところ、「空間的認知能力が未発達なのではないか?」という仮説が自分の中では最も有力なものとなっています。このあたりは今後も考察を進めていきたいと考えています。




いきなり話が脱線してしまいましたが、この記事で覚え書きしたいことは、「プロパガンダ的現象の多くに「意思」は存在しない」という話です。

これも多くの一般の人にとっては無意識に自覚されていることで当たり前のことなのですが、どうも一部の人には存在しない概念のようなので、あえて公開の形で記事化することにしました。

当初は逐一説明しようかと思っていたのですが、すごくいい記事を見つけたので、興味のある方は私の駄文を読むよりも、この記事を精読してもらったほうがいいと思います。


ものすごくざっくりと、かつ、不正確ですが、わかりやすいように意訳すれば、「個々の間にある共通した性質を持っておりがあり、かつ、お互いにまねる性質を持っていた場合、その集団はまるである意思を持っているかのように見える」といったようなことです。う〜ん、説明が下手くそ。



私の理解だと、この理論で

  • ネット上で生じる炎上現象
  • 局所的に生じる渋滞
  • プロパガンダ現象
  • 魚や鳥の群れ

といった現象の説明がほぼ可能です。そして、上記の論文では「魚や鳥の群れ」についての詳しい解説があります。



で、私の理解だと、一般の人たちのだいたいは「肉感」でこの現象を把握できています。理解できているからこそ、ルールを守るわけです。理屈ではよくわからないけれども、そうすることが社会にとって大切なことであると肌で感じ取れているわけです。

しかし、どういう理由で生じているのか、思考回路の違いなのか、よくわかりませんんが、こういう現象をすべて、誰かが指示したりしているように錯覚を起こしている人たちが存在しているようです。で、そういう人たちはたぶん、上記のような肌感覚を持っていないのではないかと推測しています。



こういったいわゆる自然現象を誰かの意思によるものと二重三重に誤解して、自らプロパガンダ活動をしているような人がまま見受けられますが、私の理解では、そういった活動はほぼ無力です。理由は自明なので省略。



で、一部の人に反感をかうのを承知で言いますが、ヒトラーが存在していなくても、第二次世界大戦は勃発しています。私の分析が正しければ、彼は上記のような原理で生じた群れの動きに同調した言動をしたにしか過ぎません。



そして、ここまでの考察が正しいとすると、社会的な現象で最も注視しなければなならないものは、人間集団の共通した意識に最も影響を与えるものからの相矛盾した情報の発信です。相対的に見れば、ちょっとした情報の歪みや一個人の道徳性は社会的安定性にはほとんど寄与しません。

・・・この話をしだすと話が長くなるので、この記事はここで止めます。機会があれば、また、この続きを書きます。


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by asazuki508e | 2016-02-04 16:44 | Comments(0)

人は理不尽なことを要求され続けると従順になる

これは何かの冗談ですか?  小学校「道徳教育」の驚きの実態 法よりも道徳が大事なの!? | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]


タイトルの通りです。

これは意外と根の深い問題だと思います。

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by asazuki508e | 2016-01-28 08:18 | Comments(0)

テレビの総白痴化がもたらした異質のものに対する無関心と攻撃心

ざっくりと言って、テレビの普及は広告業による莫大な利益誘導と引き換えにその利用者であるところの国民に総白痴化とコミュニティの崩壊をもたらしました。それを現在、よくネット上に出回っている概念を使って超ざっくりと図示するとこんな感じ。各イデオロギーを振りかざしている人たちの実際の様子がネットの出現によって、やっと一般の人たちに見える状態になった、という状況です。
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テレビが壊してしまった国民の創造性とコミュニティを修復し、こんな感じにしていく必要があります。しかし、私の見立てでは先は暗いです。なぜなら、広告代理店が確実にネットの世界に入り込んできているからです。彼らの商売の基本は、各コミュニティを分断し、囲い込みをして、映像などを使って、ある一定の価値観を刷り込み、ある特定のものやサービスが売れる状態を作り出すことです。
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ただ、テレビとの違いは、広告代理店の行なっている情報処理活動の様子が、ある程度、一般の人にも見えるということです。しかしながら、現状を観察していると広告代理店の方が一枚も二枚も先を行っています。つまり、このままでは、国民の総白痴化とコミュニティの崩壊は止まらないということです。せいぜい、緩やかになる程度。

で、「じゃあ、どうするか?」なのですが、ここでは問題提起をするにとどめておきます。

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by asazuki508e | 2016-01-27 09:30 | Comments(0)

よく解釈しすぎ

もずおさんはTwitterを使っています: "こうなりたい https://t.co/Asd6OA4w5E"



私も違うものが送られてきても、「まあいいか」というタイプですが、少なくとも私の場合は別におおらかだから、というわけではありません。

私自身が商売をしていて返品があったら、ものすごく頭にくるタイプだからです。

あとは日本国中での労働力を有効に活用したい、みたいな俯瞰した視点もあったり。



とにかく、性格がおおらかなわけではありません。むしろ、キリキリしているから面倒くさくなるんです。

私から見れば、面倒くさがらず、きっちりと返品できる人になりたいです。

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by asazuki508e | 2016-01-26 18:38 | Comments(0)

「前向き」という言葉の受け取り方の違い


【右翼】
困難に立ち向かう

【左翼】
問題点に固執しない

【グローバリスト】
とにかく行動して、ノルマをたくさんこなす


私が観察した限りにおいては、ざっくりとこんな感じ。

同じ言語を使っていても、ときには正反対の意味で捉えられている言葉があります。

なので、多くの人の前でしゃべるようなときには、概念的な言葉でしゃべるよりも、具体的事例を挙げて説明する方が安全かもしれません。



もし、上記のような理解が正しいとすると、口数が少ない人はかなり誤解されやすいような気がします。多少、全体的にわかりにくくなってしまったとしても、意識的に多くの言葉を駆使して伝えるようにした方が勘違い等によるトラブルは減るのかもしれません。



私がトラブった多くの事案では、概ね、

私が何か喋る → 相手が何か勘違いして怒り出す → 私は怒っている意味がわからないのでだまりこむ → 後から相手の勘違いが発覚して、気まずくなってさらに怒る

という経過をたどることが多くありました。



私より年長者の人は、自分の方が勘違いしていても攻撃してくる人はほとんどいませんでしたが、同年齢やそれ以下の人の場合は、攻撃してくるタイプの人が多かったように思います。



私自身は、こういう風になってしまったのは、概ね、テレビの影響が大きいと考えているのですが、もし、そうだとすれば、この社会的・全体的な傾向は後、何十年かは続くことが予測されます。

しかしながら、口論を起こさないようにうまくトークできている人も世の中にはいます。そういう人の話を聞いていると、まず、そもそも口論が起きそうな難しい話はせず、基本、エピソードものが多いような気がします。しかし、エピソード話をするにはある程度の記憶力が必要で、誰しもが真似のできるものでもありません。

あと、これは男の人に多いと思うのですが、常にマウントしてくるタイプの人がいます。自分の勘違いをすべて力でねじ伏せてしまうタイプですが、これはその場では有効ですが、数年オーダーで考えた場合、大きな勘違いがそのままになってしまう危険性が高く、この対処の仕方も有効ではないように思います。こういう感じの人はイデオロギーを振りかざしているようなタイプの人に多いような気がします。喋っているようすは堂々としていてカッコよくもあるのですが、ある話題になると突然、素っ頓狂なことを喋り出します。たぶん、周りの人は怖くて指摘できず、そのまま放置され、その認識が定着してしまった結果なのだろうと思います。

こういった現象は地位の高い人の中にも見受けられます。地位が高い人の場合は、本人のせいというよりは、周りの人がその地位にビビってしまっていることの影響が大きいのだろうと思います。私自身も「この人は何らかのこだわりなり思い入れがあって、こういうことを言ってるんだろうな」とスルーしていますが、本当は何らかの形で伝えるようにした方がいいんでしょうね。とはいえ、こういうアドバイスはとても難しく、相手のものすごい怒りに触れたこともあります。


で、LINE のイラストを送りあってるのが一番、気楽だったりします。
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by asazuki508e | 2016-01-26 10:35 | Comments(0)

「無痛文明論」は問題を提示しているだけで充分に意味がある

『無痛文明論』批判|衒学者の回廊|2004-09-29


約12年前の、どこの誰ともわからない人の文章が読める。実に面白いですね。



で、早速本題です。私自身が解釈している、森岡氏の行なっている問題提起。

例えば、「痛み止めを打つと確かにその時の痛みは止まるけれども、もし、痛み止めを飲み続けると人はどうなってしまうの? 社会の至るところにそういう仕組みがあるけれども、不必要に痛み止めを打ち続けるのは問題なんじゃないの?」といったようなことです。

別に痛み止めの薬自体を批判しているわけではありません。今の世の中、痛み止めを打ちすぎじゃないの?と問題提起しているだけです。

そして、この問いの意味がわかれば、別に解決策など改めて事細かに述べる必要もありません。

上記の例で言えば、「痛み止め自身が患部を治すわけじゃないので、痛くなくなったら飲まないほうがいいよ。」というだけのあたりまえの話です。問いの中にすでに答えが含まれているという、非常に的を得た問題提示の仕方だと私自身は認識しています。



この件でググってみると、「無痛文明的なものから抜け出せない人がいる」と書いてありますが、これは分かりやすい例でいれば、薬物中毒にかかっている人のような人たちを指しているんだと思います。こういった仕組みは世の中の至るところで見出すことができるんだと思います。私は頭が悪いのでその辺りは見通せず、分かりやすい上記のような例しか挙げられませんが。

で、この問題の難しさは、「痛み止めを飲む → 痛みが和らぐ → 無理をしてしまう → さらに悪化する → さらに痛みが増す → 痛み止めを飲む(以下、負の無限ループ)」というところにあるのだろうと思います。このループにはまり込んでしまうと抜け出すのは至難の技である、という理屈は想像に難くないと思います。



で、こういうことをいろんな実例を取り上げて一つ一つ考えていくと、あることに気づきます。それは、「別に痛み止め、いらないんじゃね?」ということ。痛みというのは、体の悪い部分を知らせてくれる大事なセンサー。それをわざわざ薬を使って麻痺させるのはまずいんじゃないの?ということです。

痛みに耐えるのは苦しいことですし、その時間を減らすことは時には必要なことかもしれません。しかし、上記のような負のループにはまり込んでしまっては、ずっとパフォーマンスが低い状態のままで、痛くはないけれども不快感がずっと持続している状態になるのではないか、ということです。



このロジックをマスコミであったり、医療であったり、不動産業であったり、農業であったり、飲食業であったり、その他世の中にあるいろんなシステムに当てはめて思考実験してみることにはある一定の意味や価値があるのではないか、というのが私自身の認識です。

こういう論文を「レッテル貼り」と批判する人を見かけますが、私はレッテルを貼ることに否定的ではありません。なぜなら、レッテルも10個、20.個とどんどん増やしていけば、それはもはやレッテルではなくなるからです。むしろ、レッテル貼りを恐れるあまり、レッテルが0と1の間を行ったりきたりすることのほうがよほど精神衛生上、悪いのではないかと思います。

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by asazuki508e | 2016-01-23 20:52 | Comments(0)

現代の病巣:問題にならないのが問題になってしまうという逆転現象

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問題になったり、おかしなことをした方が知名度が上がり、逆にその後、良い方向へ進む場合もあります。しかし、これは本来、例外的なことのはずなのですが、世の中の価値観などが混乱し、社会全体としてのコミュニケーションがうまく取れなくなると、この逆転現象が起こります。

例えば、まともなことを言う普通の人よりも、おかしなことや過激なことを言う人の方が選挙には強かったりします。

が、これは本来、多くの普通の人の中におかしな人がアクセントとしてたまに入り込むからいいのであって、おかしな人の割合が一定数を超えると社会や組織というのは空中分解してしまいます。


こういった社会現象。犯罪者が犯罪を犯す動機との共通性を感じてしまうのは私の気のせいでしょうか?

騒音のようなただうるさいだけの音楽が鳴り響き、一方で美しい音楽がかき消されていってしまっているような、そんな錯覚を思い起こさせる昨今の数々の現象。SMAP の今回のゴタゴタの一件もそんな世相の一断面として私は捉えました。

道義的には意味不明な記者会見でしたが、マーケティングとしてはきっと大成功なのでしょう。おそらく、関係者の一部は「俺たちって頭いいな」などと悦に入っているのではないでしょうか? でも、みんながみんな、こんなことばかりやっていたら、社会は一体どのように変化していくのでしょうか? 想像しただけで身震いがします。

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by asazuki508e | 2016-01-22 14:23 | Comments(0)

仕事場で「お互いに喋らない時間を作る」



【memo】

集中したい場所が仕事場ではない。これはどういうことか?

忙しかったわりに何もやっていないことに気づく。

仕事と睡眠の類似性について。→ ある程度の集中した、継続的な時間が必要。

仕事場の妨害と家などでの妨害は異なる。それが強制的であるか否かという点で。

強制的な妨害の正体:上司と会議 (M&Ms)




提案:

1. お互いに喋らない時間を作る。

2. 受動的なコミュニケーションを採る。 (メール等)

3. 会議をやめる。

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by asazuki508e | 2016-01-17 20:18 | Comments(0)