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相対論と絶対論

困難を切り抜けるとき、人は相対的に判断し、実行していく。
仮に今、悪いことをしなければ切り抜けられない困難な状況があるとする。そして、ある人が現実的選択としてある判断を下し、実行したとする。このとき、判断は相対的になされる。絶対的に判断するということは、「悪いことはしてはいけない。」、すなわち、すべての悪いと思われる困難から逃げることを意味するからである。ちなみに、現実にはそんな生き方はできない。

この人はどう評価されるべきだろうか?

絶対的に評価すれば、悪いことをしたのだから、悪い人ということになるだろう。だが、そういう評価に何の意味や価値があるのだろうか?
評価は相対的になされて、はじめて意味や価値を持ち、次の世代への知恵となるのではないだろうか?

▼「日本の植民支配は不幸中の幸い」か?(「日本の植民支配は不幸中の幸い」 韓国教授の論文が論議に

相対的に見れば、「日本の殖民支配は不幸中の幸い」だったという認識も出てくるだろう。一方、絶対的に見れば、「日本の殖民支配は不幸だった」という認識になるだろう。そして、絶対的に見る人からは、相対的に見る人の認識が「正当化」に聞こえることだろう。

▼子供から見た親の評価について

相対的に見れば、金銭的な面、精神的な面などの観点から、育て方の優劣をつけることは可能だろう。一方、絶対的に見れば、どんな親に対しても子供は感謝すべきだろう。「存在」を与えてもらったのだから。だが、この場合、評価自体に意味がないだろう。子育てに次はないからである。すると、言葉として残るのは「感謝」のみである。
「次」のない行為に対しては、「感謝」の言葉だけでいいのかもしれない。

▼絶対平和主義の欺瞞について(池田信夫ブログ「大江健三郎という病」

絶対平和主義は、意味や価値を生み出さない。ゆえに政治的対立軸とはなりえない。なぜなら、政治とは物事を相対的に判断し、意味や価値を世の中に与えることだからである。したがって、絶対平和主義を野党が掲げるとき、政治的対立軸は形成されず、一党支配が続くことになる。「民主党がなぜ政権を取れないのか?」。絶対的価値観に基づくアンチテーゼを立てるからである。そんなアンチテーゼは政治的には何も語っていないのと同じである。


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民主党は政権を取ってしまいましたね。詐欺行為で。

現実的・相対的な価値を国民に提供はしましたが、それらはすべて詐欺だった、というオチです。(2015-10-25追記)


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by asazuki508e | 2007-03-25 05:59 | Comments(0)