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「無痛文明論」は問題を提示しているだけで充分に意味がある

『無痛文明論』批判|衒学者の回廊|2004-09-29


約12年前の、どこの誰ともわからない人の文章が読める。実に面白いですね。



で、早速本題です。私自身が解釈している、森岡氏の行なっている問題提起。

例えば、「痛み止めを打つと確かにその時の痛みは止まるけれども、もし、痛み止めを飲み続けると人はどうなってしまうの? 社会の至るところにそういう仕組みがあるけれども、不必要に痛み止めを打ち続けるのは問題なんじゃないの?」といったようなことです。

別に痛み止めの薬自体を批判しているわけではありません。今の世の中、痛み止めを打ちすぎじゃないの?と問題提起しているだけです。

そして、この問いの意味がわかれば、別に解決策など改めて事細かに述べる必要もありません。

上記の例で言えば、「痛み止め自身が患部を治すわけじゃないので、痛くなくなったら飲まないほうがいいよ。」というだけのあたりまえの話です。問いの中にすでに答えが含まれているという、非常に的を得た問題提示の仕方だと私自身は認識しています。



この件でググってみると、「無痛文明的なものから抜け出せない人がいる」と書いてありますが、これは分かりやすい例でいれば、薬物中毒にかかっている人のような人たちを指しているんだと思います。こういった仕組みは世の中の至るところで見出すことができるんだと思います。私は頭が悪いのでその辺りは見通せず、分かりやすい上記のような例しか挙げられませんが。

で、この問題の難しさは、「痛み止めを飲む → 痛みが和らぐ → 無理をしてしまう → さらに悪化する → さらに痛みが増す → 痛み止めを飲む(以下、負の無限ループ)」というところにあるのだろうと思います。このループにはまり込んでしまうと抜け出すのは至難の技である、という理屈は想像に難くないと思います。



で、こういうことをいろんな実例を取り上げて一つ一つ考えていくと、あることに気づきます。それは、「別に痛み止め、いらないんじゃね?」ということ。痛みというのは、体の悪い部分を知らせてくれる大事なセンサー。それをわざわざ薬を使って麻痺させるのはまずいんじゃないの?ということです。

痛みに耐えるのは苦しいことですし、その時間を減らすことは時には必要なことかもしれません。しかし、上記のような負のループにはまり込んでしまっては、ずっとパフォーマンスが低い状態のままで、痛くはないけれども不快感がずっと持続している状態になるのではないか、ということです。



このロジックをマスコミであったり、医療であったり、不動産業であったり、農業であったり、飲食業であったり、その他世の中にあるいろんなシステムに当てはめて思考実験してみることにはある一定の意味や価値があるのではないか、というのが私自身の認識です。

こういう論文を「レッテル貼り」と批判する人を見かけますが、私はレッテルを貼ることに否定的ではありません。なぜなら、レッテルも10個、20.個とどんどん増やしていけば、それはもはやレッテルではなくなるからです。むしろ、レッテル貼りを恐れるあまり、レッテルが0と1の間を行ったりきたりすることのほうがよほど精神衛生上、悪いのではないかと思います。

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by asazuki508e | 2016-01-23 20:52 | Comments(0)