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社会的評価をしている主体はいったい誰なのか?

NHK 集団訴訟は、いわゆるチャンネル桜側の負けになったのですが、どうしてそうなったのか、私なりに分析してみました。

判決文はこちらにあります。



裁判所のホームページでは、このような形で記録されています。



で、内容をざっくりと見てみると、ポイントは以下の部分。

テレビジョン放送がされた番組の内容が人の社会的評価を低下させるか否かについては,一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方とを基準として判断すべきである。

で、この判断基準に基づき、最高裁は以下のように判断しました。
一般の視聴者が,被上告人の父親が動物園の動物と同じように扱われるべき者であり,その娘である被上告人自身も同様に扱われるべき者であると受け止めるとは考え難く,したがって本件番組の放送により被上告人の社会的評価が低下するとはいえない。
一方、高裁の方では、以下のような判断が下されています。
「人間動物園」という言葉は,研究者によって名付けられたものであるが,差別的な意味合いを有しており,上告人は,本件番組によって,被上告人の父親はパイワン族を代表して英国に行ったという被上告人の思いを踏みにじり,侮辱するとともに,パイワン族を代表して英国に行った人の娘であるという被上告人がパイワン族の中で受けていた社会的評価を低下させ,その名誉を侵害した。
お分かりでしょうか? 社会的評価を下しているものの主体が、高裁では「訴えた人の周りの人々であるところのパイワン族」だったところ、最高裁では「一般の視聴者」に変更されています。

私の解釈だと、最高裁は、名誉毀損に関してテレビ局が背負うべき責任は、一般の視聴者からの社会的評価のみであって、その番組で扱った対象者の、周辺の人たちからの社会的評価までは責任を問われない、と判断した、ということになります。明文化はしていませんが、論理的にはそうなります。

で、その基準の根拠を「最高裁平成14年(受)第846号同15年10月16日第一小法廷判決・民集57巻9号1075頁」に求めています。

では、この「最高裁平成14年(受)第846号同15年10月16日第一小法廷判決・民集57巻9号1075頁」とは何なのでしょうか?

これは、ご存知の方も多いと思われる「所沢ダイオキシン報道訴訟」。そうです。久米宏さんのニュースステーションがやらかしたあの一件です。詳細は以下のリンク先をご参照ください。


さて、この裁判の判決文の該当部を抜き出してみます。

新聞記事等の報道の内容が人の社会的評価を低下させるか否かについては,一般の読者の普通の注意と読み方とを基準として判断すべきものであり(新聞報道に関する最高裁昭和29年(オ)第634号同31年7月20日第二小法廷判決・民集10巻8号1059頁参照),【要旨1】テレビジョン放送をされた報道番組の内容が人の社会的評価を低下させるか否かについても,同様に,一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方とを基準として判断すべきである。

もともとは新聞記事等の報道に対するものであったものをテレビ番組にも準用しているわけですが、以下に、テレビ番組の場合は、いわゆる洗脳性が高いので、番組全体の印象等から総合的に判断した方がいいよね(意訳)と書かれてあります。

テレビジョン放送をされた報道番組によって摘示された事実がどのようなものであるかという点についても,一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方とを基準として判断するのが相当である。テレビジョン放送をされる報道番組においては,新聞記事等の場合とは異なり,視聴者は,音声及び映像により次々と提供される情報を瞬時に理解することを余儀なくされるのであり,録画等の特別の方法を講じない限り,提供された情報の意味内容を十分に検討したり,再確認したりすることができないものであることからすると,当該報道番組により摘示された事実がどのようなものであるかという点については,当該報道番組の全体的な構成,これに登場した者の発言の内容や,画面に表示されたフリップやテロップ等の文字情報の内容を重視すべきことはもとより,映像の内容,効果音,ナレーション等の映像及び音声に係る情報の内容並びに放送内容全体から受ける印象等を総合的に考慮して,判断すべきである。


頭の聡明な方であれば、ここで「あれ?」と思われるかと思います。「所沢ダイオキシン報道訴訟」の判断基準を今回の「NHK 集団訴訟」にそのまま当てはめた場合、むしろ、名誉毀損が認められる方向になるはずです。番組全体の印象としては、誰しもがパイワン族の名誉、ひいては上告人の名誉を傷つけるものであると認めるところだからです。

ではなぜ、最高裁は真逆の判断をしているのでしょうか?

余計な文章を省き、ポイントだけ抜き出すと明確になります。つまり、それが上記で黄色のマーカーで示した部分です。

裁判所の判断が変わったのは、判断基準が変わったからではなく、社会的評価をしている主体が「訴えた人の周りの人々であるところのパイワン族」から「一般の視聴者」に変更されているからです。

日本国内だけの事案であれば、この両者はだいたい一致することとなるのですが、国境をまたぐ場合、その外国人の、その同国人からの社会的評価と、その外国人若しくはその人の国の人たちの日本人からの社会的評価、またはその逆、といった感じで、主体や相関関係が複雑化します。そういった場合の名誉毀損はいったい、どのように裁かれるべきものなのでしょうか?

これからこの手の訴訟は増えてくるものと想像されます。司法関係者各位におきましては、このあたりの論点の整理が必要なのではないかと思いました。

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by asazuki508e | 2016-01-23 14:14 | Comments(0)