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DV の原因はたぶん、創造性の欠如

DVはなぜ起きるのか | DVの克服法と対処法


こういった分析は大抵、人間的な部分に焦点を当てているものが多いですが、私に言わせれば人間的なものが1世代で変わるとはとても思えません。

脳の根源的な性質として、私自身は「内在化したものに愛着を覚える」という仮説を元に社会現象を分析しており、逆に言えば内在化されていないものに対して、人は不快感を覚える、という前提で、社会現象を観察しています。

そして、その不快感を「理性」で理解することにより、人はその不快感が自分にとって危険でないことを認識することができるようになるわけです。


ここまでの仮説が正しいとすると、例えば、果たして、核家族が内在化を阻害しているのでしょうか? それとも不快感の認識不足による勘違いが相手に対する攻撃を引き起こしているのでしょうか?


論理的には両者なのですが、実際に生じている本質的な問題は後者の方だろうと私は思っています。


例えば、安倍総理大臣を罵倒する人たちがいます。しかし、罵倒している人たちは実際に安倍晋三氏から何をされたのでしょうか? 少なくとも直接、安倍晋三氏から攻撃された人などいないはずです。私の分析では、これらの精神現象は自らの不快感をちゃんと認識できていないことによる誤謬により生じていると考えています。


では、こういった自らの不快感への誤解はどうして生じるのでしょうか? それは、たぶん、創造性が欠如しているからです。


「創造性とは何か?」という話を始めると話が長くなるので、誤解を承知でざっくりと現象論から話すと、それは「テレビなどの視聴活動により生じる脳の変化」から生じる精神現象一切が創造性の欠如とほぼイコールなものです。ここのところが昔の人と現代人の、精神活動における大きな違いだと私は思っています。


昔の人は、現代人がテレビを見たり、YouTube を見たりしている間、一体、何をしていたのでしょうか? おそらく、ボーとしているか、物思いにふけっているか、誰かと話しているか、農作業をしているか、魚を獲りに行っているか、といった感じではないでしょうか? そういった精神活動こそが創造性を生み出しているのではないか、というのが私自身の考えで、それらの創造性を一瞬にして壊してしまう力を持っているのが視聴活動、特に映像付きの視聴活動だと私は思っています。


私自身はたまたま、高校生活をテレビなしで過ごす環境にあったため、視聴活動の弊害について気づくに至りましたが、おそらく、テレビが身近にある環境で育った人はもしかしたら、視聴活動の弊害、恐ろしさ、というものに気づいていないのではないかと想像します。


と、ここまでの考察が正しいとすると、DV 等への対策の方向性は人間的な部分の矯正ではなく、生活習慣の改善になります。DV を行っている人に創造性を司る脳が成長するような訓練をすればいい、ということになります。別の言い方をすると、DV している人が息をするようにテレビやネット、iPhone などで視聴活動を続けているような状態であれば、他のどんな対策を取っても効果はないと思います。なぜなら、自らの不快感がすべて相手に対する攻撃に変換されてしまうような思考回路のままだからです。視聴活動は、創造的な脳を萎縮させるとともにそういった不快感を癒す手段になっているのではないでしょうか? なので、まずはそういった視聴活動をやめさせ、不快感を自覚してもらい、自分にとって本当に危険な不快感とそうではない単なる不快感とを実感・識別してもらう時間を確保する必要があるのではないかと考えます。


ただし、「自らの不快感がすべて相手に対する攻撃に変換されてしまう」ような精神状態の人に「不快感を自覚してもらい、自分にとって本当に危険な不快感とそうではない単なる不快感とを実感・識別してもらう時間を確保」してもらうのは至難の技だろうと思います。このあたりが DV 問題の核心であり、難しいところなのだろうと推測します。論理的に考えれば、こういった生活習慣の改善はある種の肉体的な強制力を伴わせなければ実行させるのは困難ではないかと思われます。


以上、DV の根源的な原因について考察してみましたが、素人による生半可な分析ですので、くれぐれも真に受けないようにお願いします。

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by asazuki508e | 2016-01-16 12:36 | Comments(0)